23. 一度現地調査のため、1泊2日で現地へと出掛けてみることにした。 そこは信州方面の山の中。 駐車場があって、バーベキューなどもでき、広い敷地はにテントを張り宿泊することもできる場所。 コウは体調を崩しやすい猫chanだから心配、、今も元気でいてくれるだろうか。 果たして…… コウに会えた。 奇跡に思えた。 コウ、いいお顔してるね。 イケメンくんだ。 ちょうど調理の募集があり、ピザとかも作れると尚、良いとのこと。 体力がないから短時間で交渉したところ、実際働くのは1ヶ月先でも良いとのことでOKを貰えた。 キャンプ場には泊まれるバンカーもあるのでこちらに来てから住む所はじっくり見てから決めることにした。 コウや自然からかごいパワーを貰った。 女のことも夫の今までの所業もいつの間にか頭の中から消えていた。 コウがいるのは信州の山の中だ。 結構自然災害が多く、特に地震などが心配。 地震が来たら津波などもあると相当ヤバイかも……なんてふと思った。 その時はその時。 人は生まれて来る時もひとり、死に行く時もおひとりさまでいいやって。 誰にも心を残さず行けたら本望だ。 その時はコウのことを想うかも。 馬鹿みたい、最愛の息子たちだっているのにね。 私は夫と結婚して長く一緒にいたことで人間不信になってしまった。 最愛の息子たちのことさえ、他人のように見えるとは相当重症かもしれない。 ◇ ◇ ◇ ◇ 私は調査旅行から帰宅すると、今度は帰って来ない可能性の高い旅に出るための準備に取り掛かった。 息子たちには正直に話した。 生活を軌道に乗せられて上手くいきそうだったらその地で第2の人生を生きてみようと思っていることを。 私は上手くいかなかった場合のことも考えていて家を出て行くとか、離婚をして下さいとか言うのではなくあくまでも旅行に出るということにするつもりだ。 これは自分を経済的に守るための保険。 できるかできないか、予測の付かないことに危ない橋を渡るわけにはいかないもの。 長期に亘って帰らずとも、あくまでも旅で押し通すつもり。 籍を抜くとかはあまり今のところ考えていない。まずは地盤固めが先だから。 そして、とにかく独り
24.「今まで旅行なんてめったに行かなかったのに先月に続いてまた行くのかい?」「うん、今私のマイブームが猫でね。いろいろ情報探して猫を追いかけて行こうかと思ってるの」「場所は決まってんの?」「TV番組で見たんだけど、何かね北海道にも極寒の中息づいてる猫たちがいるみたいで、行ってみたいと思ってるの」「そんな寒い土地にも猫っているんだ!」「私も驚いたけど、外で普通に暮らしてるの。 寒い所にいるからやっぱり毛はフサフサしてて長めなのよ」「君がそんなに猫に嵌ってるなんて知らなかった」 「フフッ、嵌ったのつい最近だから」「君が帰って来たらネコSHOPへ仔猫見に行こうか!」「仔猫、可愛いでしょうね」 夫には、次の旅行へ行く話を上手く取り付けた。 あっちで、新しい生活の場で飼うよ、猫。 きっと……。そう呟いた。 夫の耳には届かない私の胸のうちで。 ◇ ◇ ◇ ◇ 私は調査旅行から約1ヵ月後、片道切符しか必要のない新たな旅に出た。 夫には適当なことを言っただけ、行き先はもちろん北海道などではない。 あれから小野寺祐子とは会っていない。 私は教室を止めた。 流石に? 彼女、自宅までは出張って来なかった。 夫が何か手を打ったのか? 私は彼に何も聞かないし、夫もまたその後何も私に言ってはこない。 まぁ、今更だけどね。 私は再び旅に出る。 失敗して例え帰宅することになったとしても、しばらくの間は家を留守にするわけで、またきっと夫は羽を伸ばすに違いない。 そんな状況だから、小野寺祐子に言い寄られればすぐに復縁するかもしれない。 まっ、好きにすればいいっわよ……フンっ! いざ、行かん! 私はもう2度とこの家に、夫の元に戻って来ない覚悟でいろいろなモノを処分し間に合わなかったモノはメモして息子たちに託した。 まだあちらでの新居を決めていないので、持って行きたい大きめのモノはコンテナの倉庫に預けている。 これは後から息子たちに送ってもらうつもり。 あんまり部屋を空っぽにしてしまうとまずいし、帰って来ないこと前提の旅の準備って難しい。 旅というより、家出といったほうが正解なんだけども。 大体の目星を付けているせいか、不安よりもワク
25. 私は家を出る日、わざと夫が仕事に出掛けている時間帯を選んだ。 下の息子に車で最寄の駅まで送ってもらった。 大きな荷物はコウ(猫)のいるキャンプ場で受け取ってもらえるよう先に送っているので、手荷物はその分半減。 電車と新幹線を乗り継いで旅先へと向かった。「母さんが新しい場所で落ち着いたら兄貴と一緒に遊びに行くよ」 『夏季休暇使って来れたらいいね。それまで半年ぐらいあるから、何とかキャンプ場の仕事の他に通訳の仕事も見つけて、落ち着けたらいいんだけどね』 兄の賢也は忙しいらしく、今日は休日出勤でどうしても駅まで私を見送りに来ることができなかった。 会社に出勤する前に、気を付けて後のことはちゃんと上手くやるからと、励ましてくれていた。 息子たちふたりが今の私には支えだった。 彼らの静かな応援は私の力となった。 その日の内に信州の地に降り立った私はコウのいるキャンプ場に向かった。 キャンプ場で何泊かの宿泊の予約を取り、キャンプ場での調理の仕事のことなども、翌日話をすることにしてその日は周りの山々の景色を見ながら散歩を楽しんだ。 散歩から戻って来るとコウたち猫ちゃん軍団もゾロゾロと散歩を終えて戻って来たところだった。 ヨタヨタ……ヨタヨタ……でもコウは今日もちゃんとお散歩したようだ。 キャンプ場のオーナーの沙織さんと猫チャンたちの話をしていて、恋する位コウのことが気になってとコウのことを熱弁していたら、すごい申し出を受けてしまった。 そんなにコウのことを気に入ってもらったのだったらコウを譲ってくださるというものだった。 ひょぇーーーーっ、ひょぇーーーっ?? 私の胸の内は、あまりの、そして突然の、幸運に言葉にならない動揺が走ったのだった。 ただ一頭飼いは寂しい思いをするかもしれないので仕事で出勤している間は連れて来てほしいとお願いされた。 私の仕事が終わるまでの間、ここに居る猫ちゃんたちと過ごせるからと。 私も大賛成で異論のあろうはずがない。 コウもひとりで私の帰るのを待っているなどと寂しい思いをしなくていいし。 自宅ではコウとふたりきりになれるなんて、すごくすごく幸せ! 私は沙織さんに何度もお礼を言った。 調理の仕事は次の土曜日の繁忙期から入ることになったのででき
26. TV番組で見た時からひと目で恋してしまったコウと一緒に暮らせるなんて夢のようだ。 幸先の良いスタートを切った私は、きっと今回の旅は片道切符で済むだろうことを予感した。 大丈夫だいじょうぶ、きっと私はこの地で幸せになるちゃんと暮らしていけると、不安を払拭するように改めて自分を励ました。 住居は思ったよりも早く見つかった。 この辺では顔の広いオーナーの沙織さんのお陰で。 山の麓にちょうど猫を飼える小振りの古民家があって元々住んでいた方が昨年亡くなって空き家になっていた物件。 縁者である娘や息子さんたちは別の地ですでに住居を構えていて、ずっと空き家にしておくのも本意ではなくオーナーが私の話を持って行くと、住んでくれるだけで有難いと、家も古いしということで、平屋で5ツも部屋があるのに破格の35000円で貸してもらえることになった。 うんうんっ、ほらっ……やっぱり。 この土地の神様か何だか私にこの土地で頑張りなさいって背中を押されたような気がした。 やけに単純で簡単に物事を良いように捉えすぎだろうか。今で2つめ。 良いことが3回重なったら本物だよね。 そういうわけで、私は3つめのLuckyを密かに待っていた。 私は短時間のキャンプ場での仕事をこなしながら資格を活かした通訳の仕事を探した。 長野は外国からの観光客も多く、思ったより早くに仕事が見つかった。 主に土・日・祝日にその仕事の多くを突っ込むことにした。 平日はキャンプ場での短時間のバイトだけと決めた。 年齢的にこんなところが落し所かと思ったので。 無理をしてどちらもできなくなることが一番困るのだから。 周りにも迷惑を掛けることになるし、自身も生活に支障が出るのだ。 何もかもが順調過ぎて、はっと我に返ると早2ヶ月が過ぎようとしていた。 通訳の仕事も慣れてきて、だいたい仕事のペースも固まってきた。 自然豊かなキャンプ場での仕事も猫や犬たち、動物に囲まれ客足の無い日は猫たちを相手にのんびり過ごすこともあったりで緩急があって充実していた。 反して多忙な日もあって大変なこともあるけれど身体が疲れたら小休止させてもらえるので高齢の自分でも何とか続けていけそうだ。 だから暇な日はなるべく自分で仕事を見つけて
27. 仕事の合間にコウの様子を見られるのも至福のひと時だ。 コウが赤ちゃんの時からイクメンして子育てならぬ仔猫育てをしているニャン子たちが数匹いて、そのコたちがいつも身体の不自由なコウの側で見守ってる。 その様子に心癒される。 誰かが言ってた。 動物はしゃべらないからいいんだって。 そうかもしれない。 だけど時々、コウと話せたらどんなにいいだろうって思うこともある。 コウが葵のこと好きって言ってくれたら、どんなにうれしいだろう。 一生無理だけど。 けど、聞いてみたい。 そんな私はたぶん病気だなっ! そんなこんなで生活に余裕ができた頃キャンプ場のオーナー、沙織さんとご主人に連れられてお酒を飲みに出掛けた。 そこで予想もしてなかった人との再会があった。 お互いが思ったことと思うけど……。 「「なんで、ここにいるんですか?」」 だってお互いに関西の神戸に住んでいたはずだから。 その人物は長男が小学生の時の同級生の父親で、モチロン息子たちもよく診てもらってた地元の小児科医の西島薫先生だった。 もう長男も。彼此(かれこれ)27才になっていて最後に西島先生に診てもらってから15年は経っているんだけど、まぁ忘れるような関係でもなくて……。 お互い、びっくりポン状態だった。 西島さんは独りで店に来ていたみたいで私は沙織さんたちともおしゃべりしつつ、しばし西島さんとも帰るまでポツポツと会話を続けた。 ちょうど息子さんが就職した年に病気で奥さんを亡くし、それを機に田舎暮らしすることにしたらしい。 今はアルバイトで診療所で働いていて、時間のある時は畑をしているのだとか。 このまま自然に囲まれてノンビリと余生を送るのが夢らしい。 私は何故か西島さんとの会話で、畑に喰いついてしまった。 やってみたいと何度か連呼するのを聞いていた西島氏が少し畳2帖分くらいから始めてみますかと、言ってくれた。 『よぉぉ~っしゃぁ~』心の中でガッツポーズ。「ほんとですかっ、わぁー うれしいです、ありがとうございます。体力もあまりないですし、それで充分です」と早速、厚かましくも即答していた。 西島さんは結構な広さの畑を耕していたので先でもっといろいろな作物を作りたければ、もっと使ってもらってもいいですよ、と言ってくれた。
28. ~葵が旅に出てからしばらくして貴司姉、美咲と貴司との会話~(貴司が葵のいる町を尋ねて行く前のこと)「その後、どうなの? 葵さんからはちゃんと連絡あるの?」「あぁ、一度だけ。旅の行く先々で楽しくプチ生活しながら、移動しているみたいだ。 もう少し、知らない町での暮らしを堪能したいから帰るのが先になりそうだと言ってきた。 お金も必要だろうから、送ったよ」「貴司、葵さんもうたぶん帰って来ないよ」「姉貴、俺の話ちゃんと聞いてた? 何でそういう話になるのさ。 俺は皆の前で去年の春頃に宣言したろ? 他の女には余所見せず、これからは葵だけを大切にしていきます、って! 家族と過ごす時間も増やして葵や息子たちともっと向き合っていくつもりだって。 なのに何で逃げ出すっていう話になるんだよ!」 「貴司、全然あなた分かってない。 まず、信じられない。同じ女性としていくら考えてもあなたのあの発言は良くないと思うよ」「周りの皆も姉貴だって、それに当人の葵息子たちもうれしそうにしていたじゃないか。 皆拍手して頑張れって言ってたじゃないか!」 「言っとくけど、周りの人たちがどんなだったかは知らないけど少なくとも葵さんや息子たちはちっともうれしそうなんなかじゃなかったから。 口角は上げてたけど3人とも、目が死んでたわよ。 このバカ! 気付きもしない野郎だからあんなふざけたこと宣言できたんだろうけど。 まぁ、あなたも自分の所業に何か思うところがあったから改心したことを発表したんでしょうが……。 あなたがしなきゃいけなかったのは、Audienceつまり友人知人親族なんかのいない所で誠心誠意3人に今までのふしだらな数々の女性関係を謝り、償いとして3人をそして妻の葵さんのために今後は全力で向き合い大切にしていきますと、謝罪宣言するべきだったのよ。 分かった? この唐変木野郎!」「ナ、何そんなカッカ熱くなってんだよ、姉貴!」「まぁ、私としてはあなたのその改心がもう10年早ければなぁと、思わずにはいられないってこと。 兎に角、妻も子もいる身で、しかも今まで普通の男が経験できないような女性遍歴があるんだし、女の尻を追いかけるの……じゃなかった、女に自分の尻を追っかけさせるようなことはもう金輪際止めなさい
29. 「姉貴、だから葵は旅が終わったら帰って来るってぇ。連絡だってちゃんと取れてるんだし。 息子たちだってここにいるんだぜ? 姉貴の早トチリ、妄想がすご過ぎっ!」 「あ・の・ね、女を舐めンじゃないわよ!あなた葵さんが突然今回旅行に出ると言って家を出たとでも思ってるの? そう本当に思ってるならどんだけ天然のアホかと思うわ。 フンっ!] 「それ、どういうことだよっ?」 「彼女は何年も前から出て行く準備をしてたってこと。 チャンスが巡ってきたらいつでも出て行けるようにね。 旅行って言って出て行ったのは新天地で上手く暮らしていける地盤を見つけられなかった時のための保険ね、きっと。 しかし、そう考えると葵さんなかなかやるジャンねぇ?] 「分かったから、姉貴もう帰ってくれ! トンチンカンな妄想で俺を不安にさせようと煽るのはよしてくれ。ささっ……帰ったかえった」 追い立てる仕草で姉を家から追い出した。 時には頼りになる姉だが、何かにカチリと嵌るとトチ狂うウザイ姉だ。 姉の妄想予測に少し心を動かされそうになったが、妻が出て行くならもっと何年も前だろう……小さな胸騒ぎを抱えつつも、俺はそう自分を納得させた。 姉には葵と連絡だって取れてると言った。 1月の初めに出掛けて約1ヶ月経った頃、俺の方からしたメールに2回程、確かに返信があった。 信州方面から北海道まで足を延ばして、その土地その土地で短期の逗留をして、自然の中での生活を満喫していると書いて寄越している。 が、今のところ葵からのメールは一切ない。 今まで浮気相手にバンバンメールでのやりとりをしたことはあったが、思い起こしてみると、妻の葵とはほとんど業務連絡のようなメールしかしたことがないことに気付いた。 俺が外から妻にメールをして、会話を楽しむようなことはなかったし話なら大抵葵は自宅にいるので家で話すからメールでのやり取りは不要だったのだ。
30. そして更に、例え妻が遠方に行ったからといっても1日に何度もどころか1ヵ月あっても2回のメールしかできない自分に気付いてしまった。 しかも姉の美咲との言い合いで気付いたくらいで。 今のいままで何も思うことなく過ごしてた。 葵が帰って来ないかもしれないって? 何だ、それっ……。 不安を煽ったりしてきた姉に本気で腹が立ってきた。 何で今更……。 いや、実際友人たちも今更なアラ還になって皆奥さんに出て行かれてるじゃないか! 俺は昨年の春先にした宣言で今までのことを全て葵が受け止めてくれたと思ってしまっていたけれど……。 イヤイヤ……小さな不安を捻じ伏せて、俺はそんな突拍子もないことを、と姉の物言いを小馬鹿にして封じ込めた。 その内、楽しかったぁ~って元気にここへ、俺の元へ帰って来るはずだ。 そう願いつつも、葵が旅行に出る前にひと悶着あった小野寺祐子のことが頭に浮かんだ。 小野寺のことはあのまま黙ってやり過ごした方が良かったのかもしれないと今更だが少し後悔していた。 あの時は後から小野寺もしくは他の誰かから知れたらそれこそ修羅場になると思い、正直に話したのだが。 付き合い自体、もう過去のモノなのだし。 今回のニ度目の旅行、1ヶ月過ぎても一向に帰って来る気配のない妻の行動は、もしかしたら凸事件簿も多少は関係しているだろうか。 脛に疵を多く持つ身なので、流石に姉貴に葵は帰って来ないと断定された今、じわじわと胸の中に不安が押し寄せてくる。 あまり小さな男と思われるのもイヤだ。もう1ヶ月様子見をして、それでも帰って来なければ詳しい住所を聞いていちど会いに行ってみようと思っている。 しかし、息子たちが妻のことに関してうんともすんとも言わないのはどうしてなんだぁ~? 結婚してから妻とこんなに離れて暮らすのは、初めてで正直寂しい。 俺は外で好き勝手して午前様で帰ることもよくあったけれど家には妻の葵がいつもいるのが当たり前過ぎる生活だったからなぁ~。 何とも侘しくて心許ない心情だ。 年のせいだろうか?
49. 夫はせいぜいが後数ヶ月か1年、最悪それ以上かとにかく、私が今の暮らし方をもう少し延長したいと申し出ると思っているはず。 けれど、Non Non トンデモ……! 私は関西の地元に帰り、夫と対決した。 ◇ ◇ ◇ ◇ 『私、もうこちらへは帰って来ないつもり』 「えっ!! 君、確か旅に出るって出掛けたんだったよね?それ、おかしくない? 息子たちや僕のこと、どうするつもり?家族を……家庭を…… 捨てるってこと?」「そうなるかなぁ。でも息子たちは捨てるつもりない……」 「……。」 しばらく、脳内で私の発した言葉を消化しようと努めていた夫は、しばらくして何かに思い至り、瞠目し口を開けたけれど音声を発することに失敗した。 「つまり、僕だけを捨てるってこと?」「これから先の人生は、新天地でひとりで生きていきたいの。あなたとは、もう暮らしていけない」「誰か好きな男でもできた?」「あなたと一緒にしてほしくないなぁ~。 すぐにそういう思考回路になるんだね。 皆がみんな、自分と同じような行動をするっていう考えは止めた方がいいわよ。 そんな簡単に男女の関係に普通の人間はなかなかならないよ。 しかも私なんて50才過ぎたどこにでも転がってるただのおばちゃんだよ?」 夫の前で初めてズバズバッとしゃべる私の姿に夫が戸惑っているのが分かる。「今まで文句や不満も言わず仲良く暮らしてきたじゃないか。子供たちも成人してこれから今まで以上に夫婦単位で旅行したりデートしたり仲良くできるこれからっていう時に、どうして? 理由が分からないよ」
48. 夫が一度こちらに来てから更に年を越して、春になった頃 再度の夫からの声を大にしての、そろそろ帰って来いとの連絡が あった。 私が家を飛び出してすでに1年以上が過ぎている。 いつかはこんな日が来るだろうと思っていたが毎日の生活が 素敵過ぎて、ついつい考えないようにしていた。 私が直近で知っている最後の浮気相手の小野寺祐子のことを 知ってからまだ3年経過していない。 夫から財産分与、その他別途の慰謝料を貰って別れる時が 来たなと、重い腰を上げるべく、離婚状を叩きつけてやるか と、勇ましい言葉を胸の内で羅列して自分を鼓舞してみた。 この際だから、小野寺祐子にも慰謝料請求して やろう~ぉっと。 実はあの時、何とか浮気の証拠を掴もうとすぐに興信所を 雇っていた。 もうあの時点でふたりの関係は終わっていたので、証拠を 掴むのは無理かと、ほんとに駄目元で頼んでいたのだ。 しかし、予想に反して大きな収穫があった。 あの後、夫と小野寺祐子との間に接触があり、ばっちり ふたりの映像と会話が撮れている。 あの時は、そこまで準備したものの、まだその時ではないと 放置していたのだけれど。 私はこれからのことを話し合うため、こちらでの仕事を調整して 夫に会いに行くことにした。 ホテルの予約を1泊2日で取り、話し合いは個室のある 別の料亭を指示した。 初めて心の中で固めて暖め続けてきた自分の思いの丈を 本心を吐露するつもりだ。 相手が興奮してどんな行動に出るか予想がつかない。 今まで手を挙げられたことはないけれど……それは私が 夫に対して概ね従順だったからで。 私が思い通りにならないと知った時、どんな態度、行動に 出るか予想がつかない。 互いに言いたいことを言い出して、興奮して修羅場になったら…… 夫が豹変する可能性も捨てきれないので、暴力のことも予め 考えておきたい。 私は過去従順だった自分の仮面を脱ぎ捨て思いっきり 自分の気持ちをぶつけるつもりなので、万が一のDVに 備えて、息子たちに応援を頼むことにした。 私に危害が加えられそうになったら、すぐに助けられるよう 隣の部屋で待機していてもらうことにしたのだ。 どうしてここまで用意周到かというと、温和な
47. コウと暮らすようになって、私は幸せで、幸せ過ぎて……。 幸せだなぁ~って、感じるといつも泣いた。 悲しい時に泣くのとは少し違っている涙。 泣くという行為は同じなのにね。 流す涙の違いを知った。 コウは麻痺の不自由な身体で毎日一生懸命お散歩したり、 私が帰るといつも必ず出迎えてくれる。 そして、寂しい時にはいつも側にいてくれるコウ。 今では私の唯一無二の存在。 私はコウに毎日恋をしている。 猫に恋するっていう言葉を使うのは変かもしれないけど 他に言葉が見付からない。 私は確かにコウにFall In Love. 息子たちも愛おしい存在だけれど、比べようもないほど私は コウに首っ丈なのだ。 幸福の幸という文字を取ってコウと名付けた。 コウには麻痺や他にも病気がある。 調子が悪くなった時、病院行けるよう、いっぱい働くからね。 聞いてたコウがひと声、ニャァ~と鳴いた。 仔猫のミーミは、1匹だけ畑に置き去りにされていたのを拾った。 母猫が育児放棄したのかもしれない。 コウは雄なんだけど、子育てがとっても上手なイクメン猫だった。 仔猫を育てたことがないのでものすごく助かった。 コウ、頼りにしてるよっ。 かっこイイ、イクメンさん。 ミーミはすっかりコウのことをおかあさんだと思ってる。 出ないおっぱいフミフミして、吸ってるぅ。 この2匹の光景は私の癒し、しあわせぇ~。
46. 結局母親と姉からヤンヤ・ヤンヤとせっつかれ嫌な思いを したお見合いだったが、なんのことはない。 私は夫にアプローチされ、社内恋愛であっという間に 22才で結婚した。そして悪夢の日々は終わった。 結婚して夫という後ろ盾が出来ると母も姉も 手の平を返してきた。 夫がいる私はちっほけな存在から卒業したようだった。 子供ができると更に私はやさしく大切にされるようになった。 夫という後ろ盾+子供という素晴らしく愛らしい宝を 私が手にしたから。 姉夫婦に子供はできなかった。 夫と結婚し可愛い子をふたりも授かり実家からも大切にされて あの頃が私にとって最高に良い時代だったように思う。 幸せな時間を過ごすうちに、私は悲しかった過去を忘れて いったのかもしれない。 けれど、次男が産まれたあと、今度は夫の理不尽な言動に どんどん傷つけられていった。 これではいけないと思い、自分をこれ以上傷付けないための 方法を考え、強い意志でそれを実行してきた。 子供たちと自分を守るために! 長年に亘る結婚生活でほんとに人間不信、夫不信になって しまいある時、気付いてしまった。 夫が最大の人間不信の元凶ではあるが、その原因が夫だけじゃ なかったことに気付いた。 一番身近な肉親からも私は幼少の頃から大切になんてちっとも されてなかったってことに。 どーして忘れてなんていられたんだろう? 私は夫という信頼のおける、そして私に愛情を注いでくれる 人との暮らし(結婚後数年間)があまりに幸せで、幸せとは いえなかった実家での暮らしを忘れていられたのだろう。 そのことに愕然とし、寒気を覚えた。 そしたら突然自分の足元が崩れ落ちていくような錯覚に陥った。 結婚でやっと幸せに……と思ったのも束の間、自分が持つ 家庭もやはり安住の地ではなかったのだ。 けれど、救いはあった。 夫から経済的には補償されていたし、日々の生活において 圧力がかかったことは一切なかったこと。 重いモノは必ず率先して持ってくれたし、日曜大工でさまざまな便利に 使えるモノも時には作ってくれたり。 やさしい人ではあった。
45. まず母について、 私の子供時代の記憶の中で母はいつも怖い存在として 認識されている。 理不尽なことをされることがよくあった。 怒られているわたし。 泣いているわたし。 悲しい想いをしているわたし。 ちっぽけな私の意見が尊重されることなど皆無だった。 母は、忙し過ぎていつも疲れていて、小さな子供の気持ちに 添うということなどとんと考えもつかなかったみたいだし そんな思い遣りを持つほど、余裕もなかったのだろう。 けれど、この私の気持ちを尊重しない態度は、私が 成人してからも続いた。 その横暴振りは適齢期に入ると更にヒートアップしていった。 年の離れた長姉(ちょうし) 父親の自営の仕事がなかなか軌道に乗らず、長年 貧困時代が続き、勉強がよくできたのに大学進学を諦め 就職を選んだ姉。 孝行娘だった姉は、両親が頼りにできる娘であり、相談相手 にもなりうる大切な娘だった。 そんな姉が母から怒られたりしているのを見たことがない。 姉は幼少の頃より長い間、子供時代を遠い田舎にひとりで 住まわされていた。(近所に親戚多数----見守り有) 田舎にあった持ち家にひとりで住んでいたのは小学生に なってから。 それまでは(2~3才頃から小学校に上がるまでの間)親戚の 人の家で世話になっていたようだ。 ちょっと普通では考えられない境遇で、親は親なりに いろいろと事情があったかと思うけれど、どうにかならなかった のか、と思ってしまう。 年の離れていた私は両親とずっと一緒で離れて暮らしたことはない。 反して長姉は結局中学卒業するまで田舎で独り暮らし 私たちの暮らす街にやって来たのは高校入学と同時だった。 姉が家族と一緒に暮らしたのは結局高校時代の3年間だけである。 そんな姉は就職と共に家を出た。 ということで、私が長姉と暮らしたのは3年間のみ。 親だってほぼ同じようなもの。 なので親としては、姉に対する遠慮もしくは、後ろめたさ みたいなモノがあったんじゃないかと思う。 姉はとっても親孝行な娘だ。 田舎にひとり取り残されていた愚痴も聞いたことがない。 だが、私には昔から意地悪で厳しい。 ちっぽけな取るに足らない存在として扱われ続けている。
44. 妻の居る町へ行って来た。 妻が、旅に出ます、のひと言を残して家を出て行ってから 2か月。 どう考えても旅にしては長過ぎる。 だが、当初はいうほど心配していなかった。 初めて出た長旅に堪能したら、帰って来るだろうくらいにしか 考えていなかった。 だが姉から自分の今までの行いを鑑みたら、葵は帰って 来ないつもりで出て行ったのではないかと、叱責され ここで初めてもうこのまま家族の暮らすこの家に戻って 来ないんじゃないか、途中で連絡もなくなり姿を消して しまうんじゃないか、妻を見るまではそんな不安にばかりに 襲われた。 怖怖(こわごわ)、いつ帰って来るのかと何度かメールを 打った。 しばらく、滞在してみたい場所が決まったからと、やっと 居場所の連絡があり、矢も盾もたまらず葵のもとへ会いに行った。 彼女からは、ずっとこのまま帰らない、の言葉はなかった。 もうしばらくここの暮らしがしたいと言われて、少し 不安が払拭された気分だ。 自分の考え過ぎだったかと。 仕事のこともあるので、今すぐというわけにもいかないが 自分が先で妻の暮らす町に行き一緒に暮らすという選択も 考えてみることにした。 そう思えるほど、自然に囲まれた静かで美しい町だった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ずーっと、夫に裏切られ続けてきた私は、人を信じられなくて どこか壊れてしまったのだろうか? どうしてこんなにもコウに気持ちを持っていかれて しまったのだろう。 その理由を考察してみた。 ずばり、人間不信が根底にあるように思う。 どーして今まで気付かずにいたのだろう。 年を重ねる毎にどんどん私は周りの人間に不信感を募らせて いったというのに。
43. この日は西島さんより先に畑から引き揚げ、じゃがいもと 人参をふんだんに使った、すでに作り置きをしていた おいしいクリームシチューを19時頃に西島さんの家に 届けた。 ウインナーとサラダも付けて。 畑を貸してもらってるお礼に、時々こんなふうに差し入れしている。 今回はたくさん作れたのでキャンプ場の経営者の沙織さんの ところにも届けてきた。 「うぎゃぁ~、一品増えてうれしやぁ~」と沙織さんが喜んでくれた。 私がこの地に来たのは、年が明けて人々の生活が正月気分から 抜けた頃、今から2か月前のこと。 息子たちがまだ小さかった頃から、いつか、きっといつか 自分の本当に幸せを探すために、住んでいる街から……夫の家から…… 出て行こうと考えてきた。 旅に出ると言って家を出たのには理由があった。 50才になりアラ還目前の女がひとりで生きていくというのは 長年計画してきたこととはいえやっぱり限りなく不安なものだ。 万が一、新天地で上手くいかなかった場合は、ひとまず次の chanceを待つこととし、速やかに撤退して家に戻ろうと 画策していからだ。 ズルいかもしれないが、行き当たりばったりだけでは 幸せになどなれない。時には打算も必要なのだ。 いろんな種類の木々が連なり、多種多様な季節毎の草花が 咲き乱れている桃源郷のような山の麓の暮らしは、どうして もっと早くここを知らなかったのだろうと思わせるほど 魅力的なものだ。 毎日不自由な身体で、それでも歩き周囲の草花を堪能するコウ 家に居る時いつも仔猫のミーミのお守りをしながら、私の傍らに 居てくれるコウ。大好きだよ! 毎日、毎夜コウの何ともいえない深みのある瞳と顔を見る度 私は涙する。生きてることに……生かされていることに……より一層感謝する。 コウは私にとって偉大な存在。私は本当にコウに恋してしまった。 バカバカしいと思われようと、恋しちゃったのだ。自分でも自分がおかしくなって、いつかこの今の恋する気持ちは 失われて普通にペットとして好きなだけの気持ちに落ち着くのかも しれないと思いつつ、とにかく今は恋しく想う気持ちを止められない。 そして恋する対象に出会えた私は今、とても幸せだ。
42. 西島さんから言われて、ふと考えてみた。 夫が寂しくてここに来る? そして、私とここで暮らす? まず第1に寂しがったりするまい。 巷に相手をしてくれる女がわんさかいるしね~! 『……って、西島さんは知らないからね~』 あの派手なヤリチン男がこんな過疎ってる何ぁ~んにも 娯楽のない、ジイちゃんバアちゃんが多く棲息している 所に来るとは200%ないないっ。 そんなやこんな、胸の中で考えていたら可笑しくなった。 私の頭の中を知ったら、普通の結婚生活を送り普通の良識に 基づいて暮らしてきた西島さんは、仰天することだろう。 私の夫は普通じゃないので、その妻の私も普通の反応ではないの じゃぁ~。 そんなふうにいろいろ西島さんとのやり取りで疲れてきたので 話題を変えてみた。 『私、知り合いに医師がいてすごくLuckyって思っているんです。 何かあっても、すぐに相談できる人が身近にいるってすごいこと だなって思って。安心感が半端ないわぁ~ン』 ちょっと、勢い余ってタメ口になった。 「コホンっ、葵さん、頼りにされるのはやぶさかではないですが 僕は小児科医です……。」 『子供も大人も同じ構造をした人間ですから、大丈夫ですってば 信頼してますからぁ。頼りにしてまぁ~す』 「参ったなぁ~。まぁ、普通の人より少しはお役にたてるかも しれませんね。だけど、健康に良い献立での食事、ストレッチに 適度な運動を心掛けて、病気しないのが何よりです。 認知症予防には食物繊維+たんばく質を毎日しっかり取することも 大切なんですよ。 あ~、それと血管の老化を防ぐ事もね。 この血管の老化を防ぐには食事+運動+睡眠が大切で、 血液サラサラに するのには玉葱がいいです。 後、これから老いを迎える僕たちにすごく必要なことになってきますが。 先で寝たきりにならないためには全身を支える大黒柱の大腰筋 《だいようきん》を鍛えることが大切で、死ぬまで元気に歩けるか どうかは大腰筋を衰えさせて細くさせないことが大切です。たんぱく質が不足すると筋力が低下してくるので運動と共に 摂取が欠かせませんね。 葵さんは心配しなくても、食事面は大丈夫そうだ
41.『よけいな気を遣わせてしまって、すみません。実は私、正直なところこんな田舎町まで夫が迎えに来るとは思ってませんでした。 男女問わず友達の多い人ですし。 そんなわけでまぁ、寂しさから迎えに来たかどうかは微妙です。 息子たちは理解があって、もしこのままずーっとこの地で暮らすことになっても、応援してくれると思うんです。 ここでの暮らしが殊の外《ことのほか》気に入ってしまって、もしかしたらこのままずーっと居続けるかもしれませんので、西島さん、今後とも仲良くして下さいね。』 「いえいえ、こちらこそ!そうですか、僕はてっきり半年かそこら、長くて1年くらいでここの暮らしを終えて家族の元へ帰られるものだとばかり思っていたので、正直少し驚いています。 僕もおそらく何か突発的なことでもない限りは畑を細々とやりながら、このままこの町で暮らすつもりですから畑はずっと使っていただけると思いますので、ご心配なく。 僕自身もここでは他所からの居住者(よそ者)ですから同じように他所の土地から移って来た人と接すると、正直なところほっとする部分があります。 まぁ、住めば都なんですけどね」 『私も知らない土地で不安だらけだったのにこちらに来てすぐに西島さんと再会出来たのは幸運でした。 しかも、念願だった野菜の栽培もすぐに畑をお借りしてできることになって、今でも嘘のようです。 コウやミーミと暮らせるようになったことも幸運でした。 この町は、私のLuckyそのものです。 このまま元気に働き続けて、この美しい山の里の近くの町でずっと暮らしていきたいと思ってるんですよ』 「それじゃあ、ご主人も寂しさに負けていずれ荷物背負って葵さんのところにやって来そうだな」 『……えっ!そういうの、全然考えてませんでした』 「なんか、女性の方が逞しいってことが分かりましたよ。ハハッ。」